ナビ派

ナビ派とは、1890年代にパリで活動した画家集団のことです。自然光を絵画で表現しようとした印象派に反発し、新しい美を創り出すことを試みました。ナビ派が誕生するきっかけは、画家で当時は美術学生だったポール・セリュジエが、ポール・ゴーギャンの指導を受けたこと。心象に基づいて自由に彩色していくゴーギャンの手法は、目に見えるものを正確に写し取ることを学んでいたセリュジエに大きな衝撃を与えました。

セリュジエはゴーギャンの指導を受けて、すぐに学校の仲間たちに学んだことを共有します。ピエール・ボナールやエドゥアール・ヴュイヤールなども共感し、ナビ派が誕生しました。ナビ派の「ナビ」は、ヘブライ語で「預言者」を意味する言葉です。宗教色が強い命名ですが、ゴーギャンの教えをある一種の啓示のように扱っていた、セリュジエ達の姿勢を表しています。

ゴーギャンの教えと同じく、ナビ派に影響を与えた芸術に、日本の浮世絵が挙げられます。1890年にパリにある国立高等美術学校で「日本の版画展」が開催され、浮世絵ならではの平面的な美術は、彼らに斬新だという印象を与えました。ナビ派のなかでもピエール・ボナールは「日本かぶれのナビ」とも呼ばれ、『見返り美人図』をイメージさせる『白い水玉模様の服の女性』を制作しています。

ナビ派の活動には美術学校の学生以外の若い芸術家も賛同し、絵画にとどまらず彫刻や舞台芸術など幅広いジャンルで活躍しました。その後、1899年に画商の画廊で展覧会を開いたことを最後に、メンバーたちは違う道を歩むことになります。