フォンテーヌブロー派

フォンテーヌブロー派とは、フランス・ルネサンス期に活躍した画家のグループです。主に宮廷で作品を制作しました。フォンテーヌブロー派が生まれた背景には、16世紀のフランスの芸術事情があります。当時のフランスは伝統的な中世のゴシック様式から抜け出せずにいて、イタリアやドイツなど周辺の地域に後れを取っている状況でした。そこでフランソワ1世は、レオナルド・ダ・ヴィンチをイタリアから招くことを決意。パリから少し離れたところにあるフォンテンブロー宮殿の改築を、イタリアの芸術家たちに任せました。

フォンテーヌブロー派は第一次と第二次に分けることができ、第一次フォンテーヌブロー派は、フォンテンブロー宮殿の改築に携わったイタリア人画家が該当します。フランソワ1世はレオナルド・ダ・ヴィンチに続いてロッソ・フィオレンティーノをはじめとした大勢の芸術家をフランスに呼び寄せ、イタリア美術をフランスに移植することに成功。次代のフランス王アンリ2世の治世になってもイタリア人芸術家によるフォンテンブロー宮殿の改築は続き、少しずつフランスにも新しい芸術に対する意識が醸成されていきました。

第二次フォンテーヌブロー派は、第一次フォンテーヌブロー派の影響を受けたフランス人芸術家が中心です。ジャン・クーザン親子や、フランス王家直属の画家となったフランソワ・クルーエなどを輩出しました。ほかにも、名前が残っていない大勢の芸術家たちが第二次フォンテーヌブロー派として活躍したと伝わっています。フランス絵画はフォンテーヌブロー派の活動をきっかけとし、17世紀のフランス古典主義や後世の芸術運動の中心地の1つとして発展しました。