紀州漆器

紀州漆器(きしゅうしっき)とは、和歌山県で生産されている伝統工芸品です。和歌山県海南市の北西部、黒江地区でよく作られているため、「黒江塗り」と呼ばれることもあります。特徴は、シンプルかつ実用性に優れているところと、表面の朱塗りから下地の黒漆が浮き出た文様。文様の起源は、根来寺(ねごろでら・和歌山県岩出市)で生産された根来塗だと考えられています。鮮やかな朱漆の下からぼんやりと黒漆の色が見え隠れする姿は、独特の雰囲気を醸し出しています。

紀州漆器の歴史は、室町時代にまで遡ります。諸説ありますが、近江系の生地師がお椀を作ったこと、根来寺の僧侶たちが寺院用の食器類や厨子を自分たちの手で生産したことなどが始まりだと考えられています。戦国時代になると、豊臣秀吉が根来を攻め、根来での漆器づくりが難しくなります。そこで難を逃れた僧侶が現在の南海市で漆器づくりに従事したところ、紀州漆器は紀州藩からの保護を受け、広く生産されるようになりました。

廃藩置県を経て紀州藩からの保護がなくなった後も、貿易ルートの確保や他県の沈金彫の技術の導入、京都の蒔絵師からの指導を受けるなどして、紀州漆器の改良を進めます。昭和時代には天流塗や錦光塗などを考案し、独自の地位を築き上げていきました。現在、紀州漆器は会津漆器、山中塗・輪島塗と並び、漆器の日本三大産地の1つに数えられています。昭和53年には、経済産業大臣指定の伝統的工芸品に登録されました。