萩焼

萩焼とは、山口県萩市を中心に生産されている陶器のことです。萩市の南東側にある山口市と、西側にある長門市でも一部では生産されており、長門市で作られるものは「深川萩」と呼ばれることもあります。古くから「一楽二萩三唐津」の「二萩」として登場するほど評価されており、茶人からの人気があることで知られています。

萩焼の生産が始まったきっかけは、豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、朝鮮から陶工を連れ帰り、自分の所領で焼き物を作ることが西国大名のなかで活発に行われたことです。のちに長州藩の祖となる毛利輝元も朝鮮から陶工を連れ帰り、その弟も呼び寄せて作陶の技術を教わりました。毛利輝元は関ヶ原の合戦に敗れて萩へ移ることとなり、陶工の兄弟もそれに伴い萩に移住したことで、萩での陶器の生産が始まったとされています。

萩焼の特徴は、粗めの陶土を用いた柔らかい風合いです。土が粗いぶん水分の浸透性や保水性に優れており、土と釉薬の伸縮率の違いで発生する微細なヒビに、注いだ飲み物の水分が浸透します。水分の浸透を繰り返すことで少しずつ器の色合いが変化することは「萩の七化け」とも呼ばれており、使えば使うほど味が増すことは萩焼の魅力にもなっています。

茶人からの評価を得ていたこともあり、かつての萩焼は茶碗のような茶道で使う器が主に生産されていました。現在は生活様式の変化に合わせ、小鉢やマグカップなどさまざまな製品を生産しています。2002年には、経済産業省が指定する伝統的工芸品に登録されました。