薩摩焼

薩摩焼とは、鹿児島県で生産されている陶磁器のことです。豊臣秀吉による朝鮮出兵の際、薩摩国の大名である島津義弘が朝鮮半島から陶工を連れ帰ったのが始まり。生産している地区によって竪野系・苗代川系・龍門司系・西餅田系・平佐系の5つの系統に分けられます。2002年に国の伝統的工芸品に指定されました。

薩摩焼の特徴は、無色や乳白色の「白薩摩」と黒っぽい見た目で重厚感がある「黒薩摩」のほか、染付や三彩釉など様々な種類があるところです。白薩摩は金や赤などで豪華な絵付けを施したものもあり、藩主のような一定の地位を有する人が持てるものでした。黒薩摩は鉄分の含有量が豊富なため黒っぽく発色し、主に大衆向けの日用品として使用されていました。

明治時代に入り、日本が開国すると優れた陶磁器は欧米向けの輸出品としての需要が高まっていきます。薩摩藩は1867年にパリで開催された万博に薩摩焼を出品し、好評を博しました。欧米に輸出された薩摩焼は、乳白色の素地に、繊細な日本風の装飾を施しています。色絵や金彩の技術を駆使し、中央に描いた行列の様子を日本風のモチーフで囲んだお皿や、日本の伝統的な風景を描いた壺などが生産されました。

明治時代初期に作られた薩摩焼は特に品質が良く、製作には何カ月もの期間を要したため、かなりの高額で取引されました。一方で一級品を模倣した、過剰な装飾を施したものも出現。さらに西洋の技術を導入したことで増産も可能となり、一口に「薩摩焼」と言っても作品によって評価はばらつきがあります。