メネシー・ヴィルロワ磁器

メネシー・ヴィルロワ磁器とは、フランスで生産されていた軟質磁器のことです。詳しい歴史は分かっていませんが、1738年頃から1765年頃まで生産されていたと考えられています。パリのサン・タントワーヌ地区で磁器職人として働いていたフランソワ・バルバンが、メネシー・ヴィルロワ磁器に影響を与えたとされています。

フランソワ・バルバンは1745年に磁器独占製造の特権を侵害したと訴えられたため、パリを離れ、縁故であるヴィルロワ侯爵のもとを訪れます。その後は、ヴィルロワ城で行われていた磁器の生産に携わるようになりました。生産が終了した理由は明らかになっていませんが、フランソワ・バルバンと、彼から経営を引き継いだ息子ジャン・場ティストが亡くなり、1765年頃に生産されなくなったと考えられます。

メネシー・ヴィルロワ磁器の初期の作品はクリーム色の色調で、表面が緑がかっているのが特徴です。金箔はあまり使われておらず、緑やピンク、青などの彩色をよく用いています。水差しや壺、人形などを主に生産しており、ディナーセットのような食器類はあまり作られませんでした。1745年に同じフランスのヴァンセンヌ磁器に独占権が与えられたことで、メネシー・ヴィルロワ磁器で生産できる製品には制限があったと思われます。

低温で焼成される「軟質磁器」を生産しており、柿右衛門様式で生産された有田焼をイメージしたものや、ドイツのマイセンを意識したものなど、さまざまな磁器を生産しています。メネシー・ヴィルロワ磁器は、ヨーロッパにおける初期の磁器のひとつとして、知る人ぞ知る軟質磁器です。