琳派

琳派(りんぱ)とは、桃山時代後期から近代にかけて流行した、絵画や工芸品の流派です。同一の流派の家に生まれたり、人物に弟子入りしたりして作風や技法を学ぶのではなく、「私淑」という形で画技を習得するため、流派の特徴を踏まえつつ絵師個人の個性が大きく反映されているのが特徴。私淑とは、誰かに師事するのではなく、個人的に尊敬する人を慕い、模範として学ぶことです。

琳派の名称の由来になっている尾形光琳は、江戸時代初期に活躍した画家・俵屋宗達に私淑しました。光琳は京都の裕福な呉服屋に生まれましたが、やがて実家の経営が立ち行かなくなってしまい、経済的な困難から脱出するために芸術活動を始めることになります。宗達の作品をベースに自分なりのアレンジを加え、琳派として独自の画風を確立したところ、公家や大名の依頼を受け第一線で活躍する画家になりました。光琳の死後も琳派の画家に私淑する者が多く、江戸時代後期には酒井抱一が光琳に私淑し、江戸琳派を作ります。

作風の特徴としては、大胆な構図、金箔や銀箔を使った背景、たらしこみ技法の使用の3点が挙げられます。尾形光琳が描いた国宝『燕子花図屏風』は画面に大きく燕子花の絵を描いており、背景は全面が金箔です。たらしこみ技法とは、はじめに薄い色の絵の具を塗り、それが乾く前に濃い色の絵の具をたらし、ぼんやりと滲ませるように見せる技法のこと。俵屋宗達が描いた国宝『風神雷神図屛風』の雲の表現にも用いられています。