ヴァンセンヌ窯

ヴァンセンヌ窯とは、パリの東側にある「ヴァンセンヌ」という陶磁器の生産地だった街のことです。フランスを代表する「セーブル磁器」の前身と言える存在で、パリ北東郊外のシャンティイ窯の職人だったデュボア兄弟が、当時の大蔵大臣の招へいを受けて、1740年中頃に設立しました。

しかし陶磁器の生産は失敗が続いたためデュボア兄弟は解任され、同じシャンティイ窯で働いていた陶工エルイ・フランソワ・グラヴァンが、新しい職人として着任することになります。エルイ・フランソワ・グラヴァンはヴァンセンヌ窯での陶磁器生産を成功させ、品質の高さを評価する声はフランス王室にまで届くようになりました。

1751年には、王立ヴァンセンヌ窯にまで成長します。さらに科学者のジャン・エロットの協力により、1752年以降はデザイン性にも優れた陶磁器が生産できるようになりました。ジャン・エロットが生み出した濃紺や瑠璃といった彩色は瞬く間にフランス中で大流行し、ヴァンセンヌ窯は陶磁器の産地として高い地位を確立しました。

ヴァンセンヌ窯の陶磁器の特徴は、1,200℃前後で焼き上げることで得られる繊細さと透明感です。花をモチーフにした磁器は、ポンパドゥール夫人も愛したと伝わっています。しかし工房の面積が小さかったことを受け、1756年に拠点がセーブルに移され、ヴァンセンヌ窯は閉鎖されました。20年にも満たない短い期間でフランス陶磁器の礎を築いた窯として、ヴァンセンヌ窯は現在も評価されています。