南部鉄器とは、岩手県の盛岡市と奥州市で製作されている鉄器のことです。主な素材として、銑鉄という炭素を多く含む鉄を使います。仕上げに漆を塗り、サビを防いだり、鉄の固い雰囲気を柔らかく中和したりするのが特徴です。
南部鉄器の歴史は、盛岡と水沢(現在の奥州市の中心部)に分けて考えられます。盛岡では延宝年間(1673~1681)ごろに、当時の南部藩主が京都の釜師である小泉仁左衛門清行を呼び寄せ、茶釜を作らせたのが始まりとされています。その後は歴代藩主の庇護下に置かれ、有阪・鈴木・小泉・藤田といった鉄器製作の名家が栄えました。
水沢では、平安時代末期に奥州藤原氏初代当主である藤原清衡が、近江国(現在の滋賀県)の鋳物師を招いて鉄器製作が始まりました。近隣には北上山地の砂鉄や木炭、北上川から取れる砂や粘土など良質な素材を採取できる場所が広がっており、鉄器づくりに適した環境のなかで水沢の鉄器は発展します。もともとは武具や寺院の備品を中心に鋳造していましたが、主な依頼主である奥州藤原氏が滅亡した後は、日用品の製作に重きを置くようになりました。
明治時代になると、藩の後ろ盾を失い一時は衰退しますが、展覧会での入賞や東北本線の開通などにより需要が増加し、盛岡・水沢間の技術交流が行われるようになります。第二次世界大戦後は生活様式の変化等の影響で再び需要が落ち込みましたが、現在は実用性と芸術性の高さが評価され、国内だけでなく欧米と中国を中心とした海外からの人気も集まっています。