グスタフ・クリムトとは、帝政オーストリア(現在のオーストリアやハンガリーなど)の画家です。1862年に、ウィーン郊外のバウムガルテンという街で生まれました。1876年に博物館付属工芸学校に入学し、デッサンや古典作品の模写などを教わりました。卒業後は芸術家商会を設立し、ブルク劇場の装飾などの仕事を受注します。
1891年にはウィーン美術家組合に入り、芸術家としての評価を急速に高めていたクリムトですが、1892年に父と弟を続けて亡くしたのを境に、作風が変化していきます。官能的なテーマや女性をテーマにした作品を作るようになり、当時のウィーンの美術界に衝撃を与えました。その後1897年にウィーン分離派を掲げ、伝統的な作風から一線を画した作品を制作するようになります。
1902年にクリムトが第14回ウィーン分離派展で『ベートーベン・フリーズ』という作品を発表し、国からの援助を失い、ウィーン分離派内でも評価が分かれた結果、クリムトはウィーン分離派を離れることになります。その後は金箔を多用する作風になり、ブリュッセルのストックレー邸の壁画や上流階級の婦人の肖像画を制作します。1918年には脳梗塞を発症し、インフルエンザによる肺炎にもかかり、同年2月に亡くなりました。
クリムトの代表作としては、自身と恋人のエミーリエ・フレーゲがモデルとされる『接吻』、油彩と金彩を施した華やかな『アデーレ・ブロッホ=バウアーの肖像 I』、ギリシア神話に登場するダナエという娘をテーマにした『ダナエ』などが挙げられます。