パリ窯とは、パリ北東部にあった磁器窯の総称のことです。主に、1700年代中頃から1870年代頃の間に存在した磁器窯を指します。大きく2つの時代に分けられ、前半は1770年代前後とされています。王立の磁器窯であったセーブルの特権が緩和され、パリに次々と磁器窯が設立された時代です。
しかし1789年から1799年にかけて発生したフランス革命の影響で、前期のパリ窯は衰退します。フランス国内の情勢が混乱に陥ったことに加え、パリ窯のパトロンは王侯貴族だったことが影響していたと考えられています。フランス革命の結果、王政と支配者層であった貴族などが倒れたことに伴い、パリ窯の活動を支える存在がいなくなったため、パリ窯も衰退したと言えるでしょう。
後期のパリ窯は、1800年代以降のものを指します。フランス革命の影響で閉鎖したセーブル窯やパリ窯で働いた職人が独立し、小規模な作陶工房や絵付け専門の工房などがあちこちで設立されました。もともとは王侯貴族がパトロンだったこともあり、パリ窯で作られる磁器は華やかな意匠や彩色を取り入れたものがよく見られます。
パリ窯を代表する工房としては、1780年設立のナスト、1784年に色絵の生産を認められたコント・ダルトワ、ティル通りで活動していたラ・レーヌ、オルレアン公がパトロンだったデュク・ドルレアンなどが挙げられます。19世紀から20世紀にかけて工房が閉鎖されたところも多く、現在では希少なアンティーク品として人気を集めているものもたくさんあります。