フィンセント・ファン・ゴッホは、印象派の次に流行した「ポスト印象派」を代表する画家のことです。1853年に生まれ、1890年に37歳で亡くなりました。1869年に画商のグーピル商会に就職し、1876年に解雇されてからはイギリスで教師をしたり、オランダの書店で働いたりと、さまざまな職業を転々としました。
その後聖職者を目指すようになり、1878年からベルギーで伝道活動を行ううちに画家を志すようになります。1886年2月にパリ、1888年2月に南フランスのアルルに移住し、同年10月末からはポール・ゴーギャンとの共同生活が始まりました。この頃からゴッホは入退院を繰り返すようになり、1890年に37歳の若さでこの世を去りました。
ゴッホの生前の生活は苦しく、売れた絵は『赤い葡萄畑』の1枚のみだったという説もあります。亡くなった後に高く評価されるようになり、大胆な色使いと繊細な筆遣いが魅力。赤・黄・緑といった原色を主に使用しており、見る人にインパクトを与える表現が特徴です。ゴッホが制作した絵は、フォーヴィズムやドイツ表現主義といった後の時代の芸術に影響を与えました。
37年の生涯のうち、ゴッホが絵画制作に携わったのは1881年から1890年のおよそ10年間です。しかしこの短い活動期間で、約2,100点の作品を残しました。代表的な作品は、ゴッホの代名詞と言える『ひまわり』や、ゴッホ自身を描いた『自画像』、日本の歌川広重の浮世絵から着想を得た『ジャポネズリー:梅の開花』などがあります。