ヴィクトル・ヴァザルリとは、現在のハンガリー出身の芸術家です。1906年にオーストリア=ハンガリー帝国(現ハンガリー領)で生まれ、2年後にブダペストに移住。1921年から1925年まで商業高校に通うほか、1922年からは絵画学校にも同時進行で通学し、フランス語・ドイツ語・絵画の技法などさまざまことを学びました。
1925年に製薬会社に就職し、1929年秋からバウハウス運動の中心地「ムヘイ」に参加。1930年には展覧会に作品を出品したり、パリに移住したりして、芸術家としての道を歩むようになりました。移住後は広告代理店でグラフィック・アーティストとして活動したり、個人的に作品を制作したりします。第二次世界大戦中は南仏の宿で暮らし、終戦後は色彩と形態を最小限に抑えた「幾何学的抽象性」に着目した作品を制作しました。
幾何学的抽象性に着目した作品を30年ほど続けていたところ、1964年にアメリカの雑誌『タイム』が「オプ・アート」という言葉を生み出し、ヴィクトル・ヴァザルリをはじめ数名の芸術家を紹介。1965年にはニューヨーク近代美術館でオプ・アートを特集した展覧会が開催され、ヴィクトル・ヴァザルリはオプ・アートの先駆者として知られるようになりました。
1970年には、南仏のゴルドに自身の作品を約500点集めた個人美術館を開設。1976年には、フランスのエクサンプロヴァンスという街に、ヴァザルリ財団美術館を作りました。ヴァザルリ財団美術館の開業記念式典には、フランス大統領を務めたジョルジュ・ポンピドゥーも臨席したそうです。その後、前立腺がんにより、1997年にパリで亡くなりました。