九谷焼

九谷焼(くたにやき)とは、金沢市や加賀市など石川県南部で生産される磁器のことです。特徴は赤・黄・緑・紫・紺青の5色を使った五彩手(通称:九谷五彩)で上絵付けを施しているところ。特に赤を多く使用しているものを赤絵、緑・紫・群青を前面に押し出しているものを青絵と呼ぶこともあります。器の余白を埋めるように絵柄を配しており、床の間に1枚飾るだけで場が華やぐような鮮やかな彩色が魅力です。

九谷焼の歴史は、江戸時代初期にまで遡ります。加賀藩が治めていた大聖寺藩領の九谷村で良質な陶石が発見されました。焼き物に適した土を活かすため、加賀藩は後藤才次郎という人物を有田(現在の佐賀県有田町)に派遣し、作陶の技術を習得させます。加賀藩に戻った才次郎は窯を開き、美しい絵付けが評判となり、ついに加賀は磁器の一大産地となりました。

しかし50~60年の活動ののち、九谷焼の生産は終了します。藩の財政難による資金不足や、藩主の代替わりによる政策の方向転換などが考えられていますが、明確な理由は今も判明していません。それから約150年後、九谷焼の復活を目指して、加賀藩各地で大々的に窯が開かれます。この時期から、江戸時代初期に作られた九谷焼を「古九谷」、復活した九谷焼を「再興九谷」と呼ぶようになりました。

現在は伝統的な工芸品・美術品として確かな地位を築き、生活様式の変化に合わせてさまざまな作品が作られています。また、かつて加賀藩の一部であった石川県小松市からは、三代徳田八十吉と吉田美統の、2名の人間国宝認定者が輩出されました。