赤膚焼(あかはだやき)とは、奈良県で生産されている陶器のことです。奈良県にある「赤膚山」で採れる土を使用しており、素地の色は赤みのある柔らかい乳白色で、文様に奈良絵を取り入れているのが特徴です。湯呑、花瓶、皿などさまざまな製品が生産されており、現在は奈良市と大和郡山市に工房があります。
伝承では、天正年間(1573~1592)に豊臣秀吉の弟である秀長が、尾張国(現在の愛知県西部)の常滑から陶工を招き、五条山で窯を作らせたのが赤膚焼のはじまりと考えられています。天明6年(1786)に大和郡山藩主の柳沢保光の保護を受け、試験窯の運用や京都の陶工の招聘を経て、嘉永3年(1850)頃に現在に伝わる赤膚焼の技法が確立されました。
嘉永年間(1848~1855)には赤膚焼の窯は東・中・西の3つに分かれ、それぞれで赤膚焼を生産するようになります。しかし第一次世界大戦終戦後に発生した恐慌の影響で、東と西の窯は廃業しました。中の窯は後継者が若く、一時は東の窯が道具を買い取っていた状況でしたが、昭和初期に生産が再開されました。
江戸時代から続く赤膚焼の窯元で作られたものには、「赤膚山」という刻印が付けられるのが一般的です。赤膚焼には「奈良絵」という奈良にちなんだ図様が描かれることが多く、東大寺の大仏の台座に描かれていたものが源流と考えられています。焼き具合や季節によって、青みがかったものから淡いピンク色のものまで、さまざまな陶器が生産されています。

