志野焼とは、安土桃山時代に生産された、白釉を使用した焼物のことです。美濃焼の一種で、室町時代の茶人である志野宗信が、美濃の陶工に命じて作らせたのが始まりとされています。地元で採れる「もぐさ土」と呼ばれる白土と、白釉の原料である「長石」を使用しており、美しい白さを持っているのが特徴です。
安土桃山時代には志野焼の白い焼物に鉄絵を施したものが流行し、桃山文化を代表する焼き物になります。『津田宗及茶湯日記』には、天文22年から天正14年にかけて、志野茶碗が200回以上使用されたことが記されています。しかし江戸時代になると中国から白磁や染付が輸入され、幕府による窯場の統合整理の影響も受け、志野焼は徐々に衰退しました。
その後、昭和初期に陶芸家の荒川豊蔵が、現在の岐阜県可児市で古い窯跡を発見したことをきっかけに復活しました。志野焼を復活させた荒川豊蔵はのちに人間国宝(重要無形文化財保持者)に認定され、現在も人間国宝の鈴木藏をはじめ、多くの陶芸家が技術を継承しています。三井記念美術館が所蔵している志野焼の『卯花墻(うのはながき)』は、昭和34年に国宝に指定されました。
志野焼の特徴は、長石釉によって作られる美しい乳白色の地肌や、バリエーション豊富な絵付けです。絵付けの種類には、草花などの文様を描く「絵志野」、赤く焼き上がる「赤志野」、鉄を含む化粧土を使用した「鼠志野」があります。また、焼成時にできる「柚子肌」という小さな穴や、赤褐色の「火色」も、志野焼の特徴として挙げられます。
