パウル・クレーとは、スイス生まれのドイツ人画家であり、美術理論家のことです。1879年に、スイスの首都ベルン近郊で生まれました。音楽一家だったこともあり、本人も幼い頃から音楽に親しんでいました。1914年の春から夏にかけてはチュニジアを旅行し、この旅行での経験を受けて作風が一変します。
また、第一次世界大戦では親友を喪い、自身も従軍するなどしました。この頃からパウル・クルーは新進気鋭の画家として認められるようになり、1920年には画商であるゴルツという人物の画廊で大回顧展が開かれました。1921年以降は美術学校で教鞭を取ったり、第1回シュルレアリスム展に参加したりして、パウル・クレーの名前は国際的に知られるようになります。
しかし1933年にナチス政権が成立すると、前衛芸術は弾圧され、パウル・クレーも批判の対象になります。生まれ故郷のスイスに亡命した後は、体調を崩すこともありましたが、手が動くときは創作を続けたり、ピカソやジョルジュ・ブラックと交流したりもしました。1940年にスイス南部のロカルノ近郊にある療養所に移り、同年に亡くなりました。
パウル・クレーの作品の特徴は、作品に幾何学的な線を取り入れているところと、音の重なり合いを意味する「ポリフォニー(多声音楽)」の概念を絵画に導入したところです。代表的な作品としては、ポリフォニーに概念を取り入れた『パルナッソスへ』、顔をパッチワークの用に分割して描いているのが印象的な『セネシオ』が挙げられます。
