歌川広重とは、江戸時代の浮世絵師のことです。1797年に、江戸の八代洲河岸にある火消しの家に生まれました。数え13歳で火消しの職を継ぎましたが、幼い頃から抱いていた絵への興味が勝り、15歳頃に歌川豊広に入門しました。翌年に「歌川広重」の名を与えられ、1818年に「一遊斎」の号で浮世絵師としてデビューします。
1832年には養祖父の嫡子である仲次郎に家督を譲り、自身は絵師の仕事に専念するようになります。その後は『東海道五十三次』のほか、肉筆画・扇子絵・双六など、さまざまな作品を制作しました。浮世絵以外の作品も合わせると、約2万点を制作したとも考えられています。1858年に当時の江戸で流行していたコレラに感染し、亡くなりました。
歌川広重の作品の特徴は、雨・雪といった天候の移り変わりや四季を詩情豊かに捉えた風景描写と、鮮やかな青色を使用しているところです。青色は西洋から伝わった化学染料「プルシアンブルー」を使っており、現在は歌川広重の作品に用いられた青色を「ヒロシゲブルー」と呼ぶことがあります。ほかにも、手前にあるものを極端に大きく配置し、遠近感を強調した構図も特色です。歌川広重の遠近法は、オランダの画家であるゴッホをはじめ、後の西洋の芸術家にも影響を与えました。
歌川広重の主な作品は『東海道五十三次』のほか、『傾城貞かがみ』や『美人風俗合』などがあります。風景画にも定評があり、『東都名所』『京都名所』『近江八景』といった日本各地の景色を扱う作品も残しました。
